東京高等裁判所 昭和33年(ネ)1279号 判決 1961年7月04日
事実
控訴人(一審原告、敗訴)田口精一は請求原因として、被控訴人日栄証券株式会社は証券取引法にいわゆる証券業者であり、且つ東京証券取引所の会員であるが、控訴人は被控訴会社に対し株式の買付を委託するにつき、昭和二十八年一月三十一日より同年十月五日までの間に十回に亘り合計金六十六万四千五百八十三円を被控訴会社に寄託した。ところで被控訴会社は控訴人よりの委託に基き別紙(省略)記載のとおりに株式を代金合計金五十万二千七百円で買い付けた。
しかるに、被控訴会社は右買付にかかる株式を何れも控訴人の承諾を得ずに代金合計金三十五万二千三百四十七円で売却したために、控訴人は合計金百八万八千五百七十九円の損害額(得べかりし利益の喪失)を蒙つた。
ところで、控訴人は被控訴会社に対する前記株式買付の委託については、田口凱久なる名義を用いて被控訴会社の常務取締役であつた訴外荻野謙三と折衝のたのであるが、右訴外人は被控訴会社の当該業務を担当していたものであり、仮りにそうでないとしても、右荻野謙三は被控訴会社の代表者を代理して控訴人の株式買付委託を受託したものであり、又、仮りに訴外荻野謙三がかかる代理権を付与されていなかつたとしても、控訴人は右荻野にそのような代理権があると信ずるに足りる正当な理由を有したばかりでなく、右荻野は常務取締役と称して被控訴会社の業務に従事することを被控訴会社から許されていたのであるから、何れにしても被控訴会社は訴外荻野謙三がその衝に当つた控訴人との株式取引につき受託者としての責に任ずべきものである。
よつて控訴人は被控訴会社に対し、控訴人の蒙つた前記損害額金百八万八千五百七十九円及びこれに対する完済までの利息の支払を求める、と主張した。
被控訴人日栄証券株式会社は答弁として、被控訴会社が田口凱久名義の委託に基きその寄託にかかる資金をもつて株式の買付をなし、その買付にかかる株式を売却し、且つその間に右買付株式に対する配当金を受領したこと及び訴外荻野謙三がその当時被控訴会社の常務取締役であつたことは認めるが、その他は否認する、と述べ、さらに、右のように田口凱久名義で被控訴会社に株式売買の取引を委託したのは訴外荻野謙三であり、同人は一般に行われているように税負担の増大を防ぐ方便として右のような名義を用いたまでであつて、控訴人はこの取引には全然無関係である。
仮りに、訴外荻野謙三が自らのために被控訴会社に対し株式売買の取引を委託したものではなく、真実の委託者が控訴人であつたものとすれば、訴外荻野謙三は、被控訴会社のため顧客から株式売買取引を受託する何らの権限も有していなかつたのであつて、むしろ控訴人の代理人として被控訴会社に対し株式売買の取引を委託したものとみるべきである。ところで、被控訴会社が田口凱久名義の委託に基いて買付にかかる株式を売却したのは、訴外荻野謙三の指示に従つてなしたものであるから、たとえその株式が控訴人のものであつたとしても、控訴人はその代理人である訴外萩野謙三の指示により被控訴会社のした株式の売却につき本人として責任を負うべきものであることは当然である。
よつて控訴人の被控訴会社に対する本訴請求は失当である、と抗争した。
理由
田口凱久名義で被控訴会社に対し株式買付の委託をした者が控訴人であるかどうかの点について審究するのに、当裁判所は次の理由により、右田口凱久名義で被控訴会社に対しなされた株式買付の委託は、控訴人が訴外荻野謙三を代理人としてなしたもので、従つて右買付の委託者としての権義の帰属者は控訴人であり、被控訴会社の主張する荻野謙三ではないと認める。すなわち、
(1) 訴外荻野謙三が当時被控訴会社の常務取締役であつたことは当事者間に争いないけれども、原審証人荻野謙三の証言によれば、荻野は代表権のない取締役であつたことが認められ、又控訴人と荻野とはかねて懇意の間柄であつて、控訴人は荻野に対し資金を渡し、株式の銘柄及び買付時期等の選択を一切同人にまかせて株式買付の委託を同人に依頼したのであり、さらに被控訴会社が田口凱久名義の委託に基いて買付け株式(株券)はすべて荻野が被控訴会社から受け取り、昭和二十九年五、六月中これを売却処分するまでの間控訴人のために保管し、又株式買付の都度被控訴会社から発行される受渡計算書もすべて荻野が自らこれを保管し、同年九月頃控訴人から計算関係の説明を求められた際一括してこれを控訴人に引き渡したことが認められるのであつて、以上のような事実関係からすれば、本件株式の買付委託について荻野謙三は受託者である被控訴会社側の代表者又は代理人として行動したものではなく、むしろ委託者たる控訴人側の代理人の立場にあつたもので、すなわち、本件株式の買付委託は荻野謙三が控訴人を代理して被控訴会社に対しなしたものと認めるのが相当である。
(2) 被控訴会社が、本件株式買付の委託者は訴外荻野謙三であると主張する趣旨は、訴外荻野が田口凱久名義で被控訴会社に買付を委託した株式につき代金を殆んど全部即金で支払つて引き取つたこと、控訴人は被控訴会社の店頭に株式取引のため来たことがないこと、及び証券会社の重役が自らの名において当該会社と株式売買の委託取引をすることは許されないところから、別の名義を用いて自らのために取引をすることが屡々行われていることからして、田口凱久名義で株式の買付を委託した本人は荻野謙三と考えられるというにあるのであるが、前にも認定したように、控訴人は訴外荻野に予め資金を交付して同人に被控訴会社に対する株式買付の委託をすべきことを依頼したものであつて、その取引については訴外荻野に万事を一任していたのであるから、同人が代金を即金で支払つて買付にかかる株式を引取つたとしても敢えて異とするには足りないのみならず、証人荻野謙三の証言によると、控訴人は株式取引の件その他の用件で訴外荻野謙三を被控訴会社に屡々訪問していることが認められ、又証券会社の重役が自らのため他の名義で当該会社と株式売買の委託取引を行う事例が少くないということと田口凱久名義で被控訴会社に対してなされた株式買付の委託が訴外荻野自身のためになされたものであるということとの間に必然的な関係があるものと即断できないことは当然である。要するに、田口凱久名義による株式買付の委託者が控訴人であるとの前記認定を覆すに足る証拠はない。
(3) 被控訴会社が田口凱久名義の委託に基くものとして本件株式を売却したことが控訴人の意思に基くものでなく、被控訴会社の独断によりなされたものであるかどうかの点について判断するのに、証拠によれば、控訴人は、訴外荻野謙三がもと日本信託銀行の取締役をしていたところから、訴外株式会社山健のため訴外荻野謙三の名において金員を借入れ、これを同会社に融通してやつて貰いたい旨依頼し、その弁済については控訴人が連帯保証人となり責任を負うとのことであつたので、訴外萩野謙三は知合の二、三の金融業者から合計金二百万円以上を借り受けて、これを訴外株式会社山健に融通したところ、同会社が昭和二十九年四月頃倒産してしまつたため、かねての約旨に従つて連帯保証人の控訴人から弁済を受けて自らの貸主に対する返済資金に充てるべく、当時田口凱久名義で買付けて控訴人のため自ら保管中の株式を売却することについて控訴人の承諾を得たので、田口凱久名義で被控訴会社に委託して右株式を売却したことが認められる。すなわち、右株式の売却は控訴人の意思に基くものと認められるから、この点につき被控訴会社に債務不履行又は過失の責任があるとする控訴人の主張は理由がない。
以上のとおりであるから、控訴人の本訴請求被控訴会社が控訴人に無断で本件株式を売却したことを原因とする損害賠償請求は、その損害額につき判断するまでもなく失当であることが明らかであるとして、本件控訴は理由がない。